処女はお姉さまに恋してる
3つのきら星
2020年6月10日
ぷちぱら文庫
著:嵩夜あや
画:のり太
原作:キャラメルBOX
6月12日発売のぷちぱら文庫『処女はお姉さまに恋してる 3つのきら星』のお試し版です!



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風早の家に恩返しするために自分を磨いてきた密。しかし、言い渡された仕事は女学院への潜入だった。次期当主となる織女の身辺警護が目的だったが、女装した密の姿は完璧で、お嬢様たちとの華やかな学院生活のなかで、生徒会長ともいえる照星候補に選ばれてしまう。織女とも競い合い、照星選挙を目指すうちに、もうひとりの候補者である美玲衣とも親しくなって、彼女が抱く様々な思いに触れたことで……。



「ーーそれで、美玲衣お姉さまはどうなさいますの」

 カツン、と細く優雅な指が、駒を動かす快い音を立てた。

「そうね……どうしようかしら」

 ーー昼休み。昼食も済ませて、美玲衣は後輩と約束していた西洋将棋の勝負に興じていた。

「チェスの話ではありませんでしてよ、美玲衣お姉さま」

 柔らかなソバージュの髪、その奥でお嬢さま然とした理知的な瞳が揺れている。
 美玲衣の相手は高城本深夕というーー去年の図書委員会で知り合った、彼女の後輩だ。美玲衣が委員長、深夕が副委員長。美玲衣はクラスのお仕着せで決まったものだったけれど、深夕は本が好きで立候補したらしい。
 そのお陰で、委員の仕事も大分助けられたし、こうして知り合えたのだが……。

「こんな難しい手を指しておいて、私にチェス以外のことを考えさせるつもりなの。なかなかの策士じゃない?」
「いえ、そういうつもりではなかったのですが……」

 盤上は終盤戦。美玲衣が虎の子の城を戦場に投入すると、深夕は三、四手先を見越したのか、王を味方の傍へと遁がした。後輩ながらにそつがない。

「ただ、美玲衣お姉さまが、照星になられるご意志があるのかどうかーーそれをお伺いしているだけなのですが」
「照星ねえ……」

 美玲衣は、彼女の王を追うように城を敵陣深くに送り込む。

「あれは、なるとかならないとかーーそういうものでもないんじゃない?」

 照星というのは、平たく云えばこの学院の生徒会長のようなものだ。基本的には全校投票で選ばれるものであって、なろうと思って、自薦や他薦でなれるものではない。

「……解っていて話を逸らされるのですね、お姉さまは」

 カツン??双方の王と城が刺し合いを繰り返し、盤面の様相が微妙に変化する。そこに深夕の別の思惑が見える気もする美玲衣だったけれど、セオリーに沿って戦いを進めていく。

「わたくしは、美玲衣お姉さまが指名された時、照星の座をお受けになる気があるのかどうかーーそう聞いているのですが」

 カツン。

「っ……!!」

 美玲衣の逃げ回っていた王への追っ手と、逃げ回っていた質問が同時に放たれて……彼女の動きは止まってしまった。

「……いっそ、深夕が照星になればいいのに。少し長考させて頂戴」
「お忘れということもないかと思いますが、わたくしは二年生ですから」
「ああ云えばこう云う、ってやつよね……」

 まったく、深夕は才媛だーー同じ学年であったなら、きっと私は彼女に敵わないだろうに。盤面を眺めながら、美玲衣は頬杖をついた。
 そんな深夕が、どうして自分なんかを好いてくれるのか……そこが美玲衣には良く解らなかった。現に、盤上では美玲衣の可愛い駒たちが身動きも出来ずに固まっている。何処に動かそうと、深夕の歩兵と城が睨みを利かせていた。
 照星というのは、独りではない。最終学年から三人が選ばれて合議制で生徒会を運営するシステムだ。
 別に、美玲衣も照星に選ばれること自体は嫌ではない。しかし彼女が選ばれるということは、恐らく、その三人の中には当然ーー。

「そんなに、『姫』と同じ場所の空気を吸うのがお嫌なのですか、お姉さまは」
「あのね。私は今、チェスの次の一手で頭がいっぱいなの。静かにして頂戴」
「……仰せのままに」

 解っているなら聞かなければ良いのに。美玲衣はそう思うが、いくら深夕が才媛だからと云って、聞かずに美玲衣の気持ちを読めるものではない。超能力者という訳ではないのだから。

「はぁ……」

 けれど、当の美玲衣にも正直解らないのだ。きっと、万が一照星に選出されたなら、その場になってようやく自分の気持ちが判る……そういうものなのではないだろうか。
 ーー手詰まりだった。盤上も、自分の気持ちも。

「……チェスですか、珍しいですね」

 そんな時に声を掛けられーー美玲衣は驚いて、声の方を振り向いた。

「すみません、驚かせてしまったでしょうか……あまりにもいい勝負をされていらっしゃったので、つい声を掛けてしまいました」

 濡れ羽色の長い髪を優雅になびかせるその女生徒の美しい容に、美玲衣はほんのひと時、息を潜めて眺め入ってしまった。その微笑みに気付いて、はっと我に返る。

「い、いい勝負というほどでは……今まさに沈み掛かった船、というところでしょうか」

 打つ手がすっかり思い付かなくなった美玲衣は、見知らぬ彼女に向かって、素直に弱音を吐いていたーー実際、このままでは展開的に千日手に持ち込まれてしまいそうに見える。

「そうなのですか? とてもいい戦いをされていると思うのですが」

 しかし、見知らぬ彼女はそう云って、楽しそうに盤面を見詰めているーー特に社交辞令ということもないとするなら、もしかして、本当に何処かに勝機があるのだろうか? 必死に盤面を睨むものの、それらしき解答は美玲衣には導き出せなかった。

「……そう思われるなら、次の一手をご指南頂いても宜しいかしら」

 やがて美玲衣は、深夕に対する少々の悪戯心と、この突然現れた観戦者への興味から、ついそんなことを口走ってしまった。

「いえ、それは……対戦相手の彼女に失礼かと思うのですが」
「構いません。元々深夕は、私よりも上手の指し手なのですから……いいかしら、深夕?」
「わたくしは、お姉さまがそう仰有るなら否やはございません」

 深夕はクールだった。いずれにしろ、自分の勝利は揺るがないーーそう考えているのだろう。そこは美玲衣も同意見だ。

「……だ、そうですよ。如何ですか」
「そうですね……では、一手だけ」

 観念したのか、見知らぬ彼女ははにかんで、盤上中央に置かれた美玲衣の僧正に指を掛けた。

(えっ、僧正……!?)
「僧正をーーb7へ」

 ーーカツン。
 鈴が鳴るような爽やかな声と共に、美玲衣の僧正が斜めに移動する。

「………………あっ!?」

 美玲衣には、その指し手の意味が判らなかったけれど……先に、深夕の顔色が変わった。それで、慌てて盤上の関係性を眺め直してみる。

「え……えっ……?」

 ーそれは、驚きの一手だった。



 まるで、行き止まりばかりの迷路から、一瞬で開けて光の下に出てしまったような。美玲衣はそんな感覚に襲われていた。

(城で王手、あるいは千日手にもつれ込んでの引き分け……そればかりを気にしていたけれど、この人の一手はそれを総て粉砕してしまった!)

「これは……」

 たった一手で、盤上隅で睨みを利かせていた深夕の城が封殺され、しかも牽制されていた美玲衣の歩兵がパスポーンーー敵の駒が正面と両隣りの列からなくなって、有利な状況へと変わってしまったのだ!
 この僧正を倒そうとすれば、その隙に自由を得た美玲衣の歩兵が前進して成りに成功してしまうということ??つまり間接的に、この僧正にはもう手が出せないということになるのだ。

「どうでしょう。この手は」

 女生徒の一言に、美玲衣は感嘆の眼差しを返した。

「正直、驚きました……確かに、私は互角の勝負を演じていたのですね。悲しいかな、私自身は気付いていませんでしたが」

 美玲衣も、深夕も、その後はまるで運命に絡め取られるかのように手を動かしたーー二人とも、自分が勝ったことを、そして負けたことを悟らざるを得なかったからだ。

「『希望は、永遠に人の胸に湧き続ける』と云いたいところですが。これは投了ですわね」

 深夕の二つの城が、逆転した包囲をさらにもう一度覆そうと良く粘ったが、隙を見て彼女の陣地に突入した美玲衣の歩兵が女王に成ったのを見て、さすがに諦めて両手を挙げた。
 その結末を眺めていた見知らぬ生徒は、控えめな拍手で二人の健闘を讃えてくれた。

「お二人とも素晴らしい健闘だったと思います。いいものを拝見出来ました」

 けれど実際は、彼女が美玲衣を勝たせてくれたようなものだ。

「あ、あの……!」

 名前を尋ねようと思ったのに、振り返ると彼女はもうそこにない。ただほんのりと、その長い黒髪の隙間から、ベルガモットの香りを微かに残しただけだった。
 それは爽やかな、けれどまるで夜に積もる雪を思わせるような……それは不思議な香りで。

「ごめんなさい、深夕。まさか勝つとは思わなかったから……」
「いえ、負けは負けですわ……あの手は予想外でしたから。何者なのでしょうね、あの方は」
「そうね。名前だけでも聞いておけば良かったかしら」

 ーー深夕と二人、彼女が去って行った書棚の向こうをただ黙って見詰める。
 けれど、あれだけ目立つ容姿をした生徒だ。また何かの機会に逢うこともあるのではないか。美玲衣は、不思議とそんな予感を覚えてしまうのだった。


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